誰かの為に何かをしたいとおもっても、人間は1人では何も出きないかも知れない。
しかしながら、相当の人が集まれば、その力は何十倍、何百倍にも膨れ上がる。
AEDの普及に力を入れて居る方達は、皆で励ましあって活動されている。
医療関係者は勿論、救急隊、消防隊、そして現実に心臓病で肝心な命を失ったご家族の方達・・・・・・
現実に、目の前で人が倒れている場面に遭遇された方達は「自身以外に助けようとする人がいないかどうか様子を伺った」と云う方が少なくないようである。
勿論、救助の知識があればすぐにでも飛んでいけるだろうが、知識がなければ誰でもそうなるかも知れない。
呼吸をしていないと把握出きても、心肺蘇生法を知らないと手の出しようがないのだ。
しかしながら、もしもこれが自身の家族に生じたら・・・・・・?と考慮すれば、途方もなく もどかしい気持ちに成るのじゃないだろうか?
これにはもう一つ理由が有る。
AEDには、メモリー機能がついたタイプが有る。
メモリー機能に残った記録をドクターに提出し、確認してもらわなければならないから、勝手に後片付けをする事は無いようにしないといけないのだそうである。
勿論パッドをはがす事もしないで、そのままの状態にしておくるのだ。
しかしながら、人命救助をしようとしたと云うその行為を感謝される事はあっても、助からなかった事を責められるような事は、あってはいけない。
何の医療知識もない一般市民が「助けたい」と一心に人命救助をしたのであるから、ご家族の方にも把握出きていただけるはずである。
結果よりも、実践しようとした方の勇気は尊敬に値するのじゃないだろうか。
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